暮らし生活-障害者 |
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母の暮らし生活-障害者 |
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| 掲示板 | 精神障害者のいる家族に出来ること 時々、人はこの世の中に必要だから生まれてきたのだと聞くことが私はあります。 そんな時、私自身もですが、精神障害者(21歳で発病)の兄は なんの為に生まれてきたのだろうかと、私は思いました。 そんな事をいつも思いながら生活している訳ではありませんが、 ある日、人の為に頑張っている人を紹介したテレビ番組を見た時、 ふとその言葉を思い出し、兄でも出来ることがあるのかなと考え、 兄の病気を皆さんに紹介することで、誰かに何かを感じていただけたら 兄も人の役に立つ事ができるのではと、ここで紹介する事にしました。 ![]() |
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何故か学校にこだわった兄 私達の父は、兄が10歳の時交通事故死しました。 それまで、兄は父と、私は母と一緒に夜は寝ていました。 そんなこともあり、父が亡くなってからは、私以上に兄は寂しい思いをし、 大人になるに従い、責任感から私達家族のことが、重荷になっていたのかもしれません。 高校を卒業した兄は,、就職先に住み込みで働いていました。 この職場で「これからは大学を出てないと・・・」の会話を耳にし 、 自分も資格を取ろうと、働きながら建築関係の学校へ通い始めました。 しかし、仕事と勉強の両立は厳しくどちらも辞めてしまいました。 それでも学校への思いは捨てきれず、今度は短大へ入学しました。 入学はしたものの、私もまだ学生でしたので、我が家の経済状況はとても厳しく、 母が兄へ仕送りできた額は少額で、兄の生活も苦しいものだったようです。 厳しい生活状況に兄の精神も悲鳴をあげていたのか、時折実家に帰っては、 兄は母に話していたそうです。「僕も姉ちゃんと同じようになりそうだ」と。 (姉も就職後うつ病を発病し、現在は精神障害者です。) この時、病院へ行けば良かったのですが、母も生活を支えるのに一生懸命で そのまま兄は学校へ戻ったそうです。 ある日、兄の通う学校から「兄の様子がおかしい」と連絡がありました。 (当時はまだ有線電話の時代でどのようにして知らせがあったのか 記憶が定かではないと母は言います) ここから兄の精神障害者への人生が始まりました。 |
| 兄の病状の変化 病名の変化:心因反応症→統合失調症 母と私と親戚の者が、兄の部屋を訪れた時、 カーテンを閉めた暗い部屋の中へ引きこもり、 食べようと思って買ったであろう巻きずしが、 散らかった部屋の中にありました。 今でも忘れられない出来事の一つです。 学校を退学後兄は2年程入院し、退院しました。 その時の病名は心因反応症だったそうです。 退院後も薬を服用しながら、通院をしていましたが、 ・手が震える ・顔色が黒くなる ・言語障害がでる などの症状が改善されないため 他の病院をすがる思いで訪ねました。 二つ目の病院も、 入退院を繰り返しながら2年程度通いましたが、 ここでの薬も兄の症状には合わなかったそうです。 そして、ある外泊の時 「もう帰ってくるな」と病院側から告げられたそうです。 何があったのかは私は知りません。 三つ目の病院が現在入院中の病院です。 この病院での治療当初の兄は、社会復帰に向けて 母の養蚕の手伝いをしたり、車の運転もし、 回復の兆しがみえてきたかの様に思えました。 しかし、また調子が悪くなり、 次の様な症状の時がありました。 ・仏壇の内敷布を焼く ・時計の音が気になり壊す ・クーラーの送風口を壊す ・自分で買ったステレオを焼く ・額縁を壊す ・仕事を探しに行くといい外出する事が頻繁になる ・よくしゃべる時と殆ど喋らない時の差がある このような症状も、歳と共に落ち着いてはいますが 病気は回復することなく現在の兄は、自分は芸能人だとか、 医者になっている様な話し方をする時があります。 CDなどもよく聞いているようです。 母は兄の病気の回復を目指し 養蚕をしたり、改名、神社に参ったりと 病気に良いといわれる事は試し、 社会復帰出来ればと田舎の畑を荒らさないように 現在も頑張っていますが、 兄の病気が回復することはないでしょう。 |
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我が家だけではない! 私達家族は何か悪いことをしたわけではないのに どうしてこんな人生を送ることになったのかと思っていましたが、 統合失調症は100に一人の割合でかかる病気だと最近知りました。 そして、発病当初の対応の仕方で回復することもあることを知り、 慢性化した兄の症状を残念に思いました。 どんな病気でもいえることでしょうが 早期発見、早期治療が大切であることを実感しています。 特にこの病気は、私だけかもしれないですが 恥ずかしい病気という概念があるため、 受診に戸惑うでしょう。 私は十数年母と共に、兄の病院へ通っていますが 以前よりも、駐車場が満車のことが多いように思います。 こんなに多くの人達が、私達と同じ思いをされているのかと思うと おかしいかもしれませんが、ほっとした気持ちになる自分がいるのです。 我が家だけ苦しいのではない。 人は大切・人は一人では生きて行けない! 色々なことのある人生ですが、 兄が発病した時、兄の相談相手になってくれる人と出会えていたら また兄の人生も変わっていたかもしれません。 母に色々な面で余裕があったならば、 母の人生も変わっていたかもしれません。 自分一人ではすべての事は出来ません。 人に助けてもらうことも必要です。 私達家族が今まで過ごしてこれたのには 色々な人との出会いがあり、お世話になりながら現在に至っています。 人との良いい出会いが如何に大切なものかを実感しています。 だから、兄から学んだことは、困っている人がいたら、 私にでも出来る事はないかと考えられるようになったことと、 人との関わり、家庭環境の大切さです。 母も、嫁姑問題、父の死、子どもの病気と向き合う内に 肩身の狭い思いのなか、自分が助けてほしいのに、 人のおせっかいをしてしまう事があります。 おせっかいが誤解を招くこともありますが 常に前向きに頑張っています。 なぜなら、自分も助けられた経験があり 人との繋がりの大切さを知っているからだと思います。 それは、兄の病気から教わったことだと思います。 |
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